ふたご・みつごの妊娠・出産・子育てと子ども自身のために

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「ふたご」(多胎児の総称として使います)が出てくる文学作品をずっと読んできた者として、もちろん自分自身がふたごであるからでもあるが、ニュースやネットで配信されるふたごの話題は気になるし、ましてや文学作品や映画、アニメなどでふたごが出てくるものは一層気になる。

さて、ここ最近の文学作品の収穫としては、吉本ばななの『吹き上げ奇譚』4部作と朝比奈秋の『サンショウウオの四十九日』(2024年度悪だが和庄受賞作)が挙げられよう。前者は、『キッシン』以来SOGI(性的指向と性自認)に取り組んできた吉本ばななのある意味で集大成的な長編小説群である。一方後者は、作家自身が医師であることもあって、奇想天外な設定であるにもかかわらず、奇妙なリアルさを医学的にも醸し出している作品である。両者とも、現実では有り得ない不思議な条件や世界を設定した上で、その枠組みの中で物語を編んでいくという、最近の世界的流行に見事に乗っていると評することのできる作品たちである。

『サンショウウオの四十九日』には、「世界の他の結合双生児たちと私たちは少し違う。(中略)私たちは、全てがくっついていた。顔面も、違う半顔が真っ二つになって少しずれてくっついている。結合双生児といっても、頭も胸も腹もすべてがくっついて生まれたから、はたから見れば一人に見える」(33頁)杏と瞬という姉妹が主人公として登場する。しかもこの姉妹のおとうさんもふたごで、ふたごのもう一人の体内にとどまったまま生まれ、もう一人の体内で10ヶ月過ごした上で、ようやく文字通り世に生まれた希有な存在のふたごであるという設定なのだ。

こうして、ほぼ一つの体でありながら、意識は完全に二人であり、それを認めた裁判所によって戸籍登録上も二人の人格とされた二人が、前述のような奇妙な生まれ方をしたふたごである叔父の死とそれに連続する四十九日までの出来事を通じて、再度「自分」とは何かを問いかけていく。

ふたごは、少なくともふたごである僕は、いつも自分の中になんとなく対偶者を感じながら生きている気がする。特に、70近くまで齢を重ねると、かえってその感が強くなってきたと思う。ふたごは、自分のことで精一杯なときも、「あいつはどうしているかな」「あいつなら、こんなときどうするかな、どう思うのかな」と自問・他問しながら生きているような存在かもしれない。距離は離れていて、互いに気遣い、支え合っている、そうしたふたごの人生を僕は気に入っている。

ふたごのパンダが中国に返還される日が間近にせまった日に。

2026年1月
志村恵(代表理事)